大判例

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東京高等裁判所 昭和55年(ネ)2988号 判決

【主文】

原判決を次のとおり変更する。

「1 被控訴人は控訴人に対し昭和六一年一二月一日の到来とともに別紙物件目録記載(二)の建物を収去して同目録記載(一)の土地を明け渡し、かつ、右同日から右土地明渡し済みに至るまで一か月金四、一八〇円の割合による金員を支払え。

2 控訴人の主位的請求及び予備的請求中その余の請求をいずれも棄却する。」

訴訟費用は第一、第二審とも被控訴人の負担とする。

【説明】

求める裁判は、次のとおり。

「(控訴人)

1  原判決を取り消す。

2  (主位的請求)

被控訴人は控訴人に対し別紙物件目録記載(二)の建物(以下「本件建物」という。)を収去して同目録記載(一)の土地(以下「本件土地」という。)を明け渡し、かつ、昭和五一年七月一日から右土地明渡し済みに至るまで一か月金二、二四四円の割合による金員を支払え。

3  (予備的請求)

被控訴人は控訴人に対し昭和六〇年一二月一日限り本件建物を収去して本件土地を明け渡し、かつ、右同日から右土地明渡し済みに至るまで一か月金四、一八〇円の割合による金員を支払え。

4  訴訟費用は第一、第二審とも被控訴人の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言。」

【判旨】

一本件土地が控訴人の所有であり、その上に被控訴人が本件建物を所有してこれらを占有していることは当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

1  本件土地及びその地続きの土地はもと訴外海老塚純子の所有であり、控訴人の先代岩吉は同人からこれを賃借しその上に長屋式の住宅を所有していて、控訴人を含む家族とともに自らそのうちの一戸に居住し、他を貸家としていたこと、

2  被控訴人の先代藤次郎は岩吉から右長屋のうちの一戸を賃借し、被控訴人を含む家族とともにここに居住していたところ、第二次大戦中、昭和二〇年五月二九日の空襲で岩吉と藤次郎の双方ともに焼け出され、その住居を失つたこと、

3  そのため両名はそれぞれ本件土地及びその地続の土地上にバラックを建て、これを住居としていたところ、間もなく終戦を迎え、戦後に施行された罹災都市借地借家臨時処理法に基づき、両名はそれぞれ右土地のうち各自の使用部分(藤次郎との関係では本件土地に相当する部分)につき地主である訴外海老塚に対し普通建物所有を目的とする賃借権を取得したこと、

4  そして、藤次郎は昭和二三年五月ごろ、右バラックを取り壊わし、そのあとに木造平家建床面積約三三平方メートルの旧建物を建築したのであり、被控訴人は藤次郎の死亡に伴い相続により旧建物の所有権とともにその敷地(本件土地)の賃借権を承継取得したこと(ただし、この点は当事者間に争いがない。)、

5  一方、控訴人は昭和二五年一月二一日、訴外海老塚から本件土地及びその地続の土地を買い受け、本件土地について所有権を取得するとともに藤次郎に対する賃貸人としての地位も承継したこと(ただし、この点は当事者間に争いがない。)、

6  以上の次第のところ、被控訴人は、昭和四二年に旧建物のうち正面玄関に向つて左側のおよそ半分に当る部分を取り壊わして改築し、さらに、昭和五一年六、七月ごろ、残りの右側の部分を取り壊わし(ただし、控訴人所有建物と接している部分の土台、柱等は残された。)て大幅な増改築工事を施工し、その結果として出来上つたのが床面積一階54.51平方メートル、二階52.42平方メートルの木造日本瓦葺二階建居宅の構造をもつ本件建物であり(ただし、以上の点はおおむね当事者間に争いがない。)、控訴人は被控訴人に対し、右改築等の工事が行なわれる都度、これについて抗議し、異議を述べ、とくに昭和五一年六月ころの増改築工事に際しては、横浜地方裁判所に工事禁止の仮処分申請までして、これを阻止しようとしたこと、

以上の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

右事実によれば、当初、貸主・訴外海老塚と借主・被控訴人先代藤次郎間に成立した本件土地の普通建物所有を目的とする賃貸借は、その後、貸主・控訴人と借主・被控訴人の間で承継されたところ、旧建物はその土台、柱等の極く一部が残されたとはいえ、昭和五一年の増改築の時点では取り壊わされて滅失したとみるのが相当であり、したがつて、右賃貸借は昭和五一年以降においては旧建物が取り壊わされないで存在していたとすれば朽廃すべかりし時期までの期間だけ存続し、その時点で消滅するというべきである。

二そこで、旧建物の朽廃の時期について検討するに、控訴人は、これを昭和五一年六月末であると主張し、<証拠>によれば、昭和四二年改築工事のため旧建物の一部が取り壊わされた際、控訴人は一級建築士の資格を有する訴外大原英一に依頼して、旧建物が取り壊わされないで存在していたとした場合のその残存耐用年数を鑑定してもらつたところ、右訴外人は同年六月二六日付でこれを向後一〇年と鑑定したことが認められる。これからすれば、旧建物の朽廃の時期は昭和五二年六月末ということになるわけであるが、原審における証人竹中三雄の証言によつて認められる、昭和五一年に旧建物の残存部分が取り壊わされた際の後記のような状況及び原審における鑑定人澤野順彦の鑑定の結果に照らすと、訴外大原の右鑑定の結果はたやすく措信し難く、ほかに控訴人主張の時期に旧建物が朽廃すると認めるに足りる証拠はない。したがつて、控訴人の主位的請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないものというべきである。

三しかしながら、<証拠>によれば、旧建物が建築された昭和二三年当時には、建築資材の入手は未だ政府の統制下にあり、旧建物は戦災復興事業として農林省から割当を受けた木材等の資材を用いて建築されたものであつて、玉石の上に角材を乗せて土台とし、屋根はルーフィングを敷いた上にトタンを葺いたもので、外壁は杉板張り、内壁はベニヤ板張りであることが認められるところ(<反証排斥略>)、<証拠>によれば、通常、この種の建物の建築当時に予想される物理的及び社会経済的側面からの耐用年数(朽廃までの年月)は約三五年であることが認められる。そして、<証拠>によると、増改築工事のため昭和五一年に旧建物の残存部分を取り壊わしたときの状況では、右残存部分の土台、柱等の基本構造にはほとんど腐朽はみられず、増改築工事に携わつた大工の訴外竹中三雄のみたところ、そのままでも向後一〇年ぐらいはなお住居として十分使用に耐えるものであつたこと、また、旧建物が取り壊わされたあと、旧建物とほぼ同じ時期に同様の資材を用い、旧建物に隣合つて建てられた控訴人所有の建物を資料として旧建物の朽廃の時期を鑑定した原審における鑑定人澤野順彦の鑑定結果によると、旧建物の朽廃の時期は昭和五四年一二月一日を基準にして六ないし八年後であること、がそれぞれ認められる。そのほか、旧建物が建築された昭和二三年当時は未だ戦後の混乱期であつて、建築資材は不足し、材質も劣つていたことは公知の事実であり、旧建物の建築後既に三五年に近い年月が経過していることなどの事実並びに本件における弁論の全趣旨を総合して考えると、旧建物は、これが取り壊わされないで存在していたとした場合、遅くも昭和五四年一二月一日を基準として七年後の昭和六一年一一月末には朽廃し、その社会経済的効用を喪失すると認めるのが相当である。

そうすると、貸主・控訴人と借主・被控訴人間における本件土地の賃貸借は、昭和六一年一一月末をもつて地上建物の朽廃により終了するものというべきである。しかるところ、被控訴人は、控訴人が被控訴人に対し本件土地の明渡しを求めるのは権利の濫用である旨主張するが、賃貸借が終了した場合、賃借物を貸主に返還するのは借主が賃貸借契約上で負担する義務であつて、たとえ、被控訴人の側にその主張のような事情があるからといつて、控訴人の請求を権利の濫用と目することはできない。したがつて、被控訴人は控訴人に対し、昭和六一年一二月一日の到来とともにその上にある本件建物を収去して本件土地を明け渡し、かつ、右同日から右土地明渡し済みに至るまでその賃料に相当する使用損害金を支払うべきであるところ、原審における鑑定人澤野順彦の鑑定の結果によれば、右賃料相当額は一か月金四、一八〇円であることが認められ、これに反する証拠はない。なお、右の点に関する控訴人の予備的請求は、将来の給付の訴えになるわけであるが、前述したとおり、本件においては、旧建物の朽廃の時期を証拠によつて確定することが可能であり、その時期は現在の時点からはさほど遠いものではないこと、及び本件審理に顕れた被控訴人側の態度からすると、右時期が到来しても被控訴人が控訴人の請求に応じて本件土地を明け渡すという事態は容易に起り得ないと推認できること、以上の諸点からすれば、控訴人には予めその請求をして判決を得ておく必要があると認められる。  (岡垣學 大塚一郎 松岡靖光)

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